🐈の知らせ?

土曜日の午後や休日の朝に何処かへ出掛けるつもりでいると、何故かポンちゃんがこちらの気を惹くようにニャーニャー鳴いて寄ってくることがあります。

構って欲しくてしつこく纏わり付くのです。

なぜ今日に限って?と不思議に思うのですが、結局ポンちゃんのアピールに負け、外出を見合わせることにします。

すると必ずと言って良いほど「出掛けずに家にいて良かった」という展開になるのです。

・かかりつけの患者さんが急変し、緊急の往診や病院への搬送の手配が必要となったり

・アポなしで訪問者が大事な話をしに来られたり

・急ぎの連絡があったり

・後になって体調が悪くなってきたり

・予報に反して天候が急変したり・・・

何かを予知して「今日は家にいなさい」と飼い主に知らせているとしか思えないのです。

「虫の知らせ」ならぬ「ポンちゃんの知らせ」です🐈

但し稀に例外もあり、単にご飯が欲しいだけだったこともあります(笑)

このニャーは稀な例外のニャー😅

良心の呵責

己のしてきたことは己が知っています

誰もが多かれ少なかれうしろめたさや罪悪感を抱えて生きています

人は騙せても己は騙せません

良心の呵責に苦しむと、人は自供するようになります

自責の念を言葉にして吐き出そうとします

良心の呵責=自己浄化の仕組み

自供の連鎖が社会の歪みを正す力となり

個々の浄化から社会全体の浄化へと拡がってゆく・・・

改善されてゆく良き未来を想像し、生きる力にしたいものですね✨

思いがけない出来事20260226🐈

今朝1階のリビングに降りると、珍しくポンちゃんが庭からこっちに向かって盛んに鳴いています。

早くもご飯のアピール?と庭に出てみると・・・

何てことでしょう!😱😱😱

大きなネズミが地面に横たわっています(ボカシを入れています)。

首から胴体にかけて咬痕があり、もう冷たくなっています。

ポンちゃんが捕獲したみたいです😱(ボカシを入れています)

その割に呑気な顔をしています😖

もしかして飼い主の誕生日のお祝いにと狩猟本能を発揮したのでしょうか?😱

悪気はないとはいえ、そんな事しなくて良いのに・・・

飼い猫であってもそこはやはり獣ですね。

不運にもポンちゃんに見つかったばっかりに、ネズミが可哀想でした。

過ぎること

先天性疾患や一部の体質的な疾患を除き、病気の多くは「過ぎる」行為が原因です。食べ過ぎる、飲み過ぎる、摂り過ぎる(*)、冷やし過ぎる、寝なさ過ぎる、無理し過ぎる、鍛え過ぎる、考え過ぎる、心配し過ぎる・・・

過ぎる行為をし続けると、警告音としてからだの声(前駆症状)が聞こえてきますが、このからだの声を無視し続けると、からだが対処し切れなくなり病気を発症する仕組みです。

見方を変えれば、病気は「ここを修正しなさい」というからだからの教えでもあります。どれだけ己の肉体を大切に思い、扱うか?が問われています。

人は皆、経験を通じて学び、少しづつ変わってゆきます。ゆえに病気はこれまでの習慣や癖を軌道修正するために必要な経験とも言えます。

己が選択した結果を受け取り、己を省みるということです。皆選択の自由が与えられており、省みないというのもまたその人の選択です。

嗜好や身に付いた習慣は、悪いと分かっていてもなかなか改められないもの。本心から「このままではあかんな」と思わない限り変えることは難しいものです。

肉体を大切に扱ってこなかった結果、病気と付き合いながら生きてゆくことも学びであり、その人なりの生き方と言えるでしょう。

(*)特に有害なものを(そうとは知らずに)からだに入れ続けてしまうこと

参考本

やるな!「四毒」 船瀬俊介著

人はひとりひとり体の造りも体質も違います。

ゆえに体に合う食べ物も人によって異なります。

年齢、仕事内容、住んでいる地域により必要な食べ物も異なります。

食べ物の良し悪しも人によって意見が異なります。

一つに見方に偏り過ぎず、別の見方も学ぶことが大切かと思います。

悔いのないように

私は姉二人の三人姉弟の末っ子で今月63歳になります。父方も母方も長寿の家系なので、姉も自分も長生きするのだろうなと漠然と思っていましたが、私より4つ上の下の姉は15年前に52歳で他界し、隣区に住む上の姉も昨年11月に急逝、68歳でした。

寿命というのは分からないものですね。祖母が98歳、母が92歳でしたので、姉二人との早過ぎる別れになかなか気持ちの整理がつきませんが、私が外から見る限り、下の姉も上の姉もそれぞれ与えられた生を精一杯生き抜いたと思います。

私も今生での寿命の設定がどうなっているか分かりませんが、この世を去る時に悔いのないよう、与えられた時間をどう使うか、今何をすべきかを、上の姉の死をきっかけに日々考え生きるようになりました。

心身の健康を第一に過ごし、今生の終わりを迎える時に、衣食住医政教の全てが無害化された世の始まりをちらっとでも垣間見ることが出来たら本当にありがたいことです。

そのためにも自分の役割である四番目の「医」において、不向きなことは他の人にお任せし、自分に向いていること備わっている良い所を活かしながら、引き続き自分が手掛ける領域で無害な医療を目指し精進したいと思います。

それと今年でポンちゃんに換算年齢で追い抜かれますので、これからは今まで以上に飼い主として寄り添う必要がありそうです。

とはいえ事実上ポンちゃんの方が圧倒的に元気なので、ポンちゃんも「このご飯くれるデカイ猫も最近ちょっと弱ってきたニャ、気を付けて見とくかニャ」とか思ってそう(笑)

私の実家は庭のある敷地内に母の両親と父と母と姉二人と私の三世代が暮らしていました。時は流れ、今や当時の家の様子や暮らしを知る者は自分ひとりになりました。

春の訪れ

局所的表面的に見ると悪くなっているように見えることも、全体が改善されてゆくために必要な経緯であることがあります。

個々の変化に一喜一憂することなく、全体としての変化の方向性を大きな流れの中で捉えることが望ましいのでしょう。

厳しい冷え込みが続く一方で、春の足音が近づいています。