時間の過ごし方

普段の日常は毎日ほぼ同じことの繰り返しですが、すべては刻々と変化しており、どんな些細な事も同じ瞬間は二度と来ないものです。

いろいろと失って初めて、ありきたりの日常の一コマ一コマが、無意識にやり過ごすには余りに勿体ない、掛け替えのないひとときなのだと気付きました。

これからは見ること、聞くこと、味わうこと、嗅ぐこと、接すること・・・日常の一つ一つをよりじっくり丁寧に味わいながら、生きる喜びを感じつつ時間を過ごして行きたいと思います。

インフルエンザワクチン後の湿疹

50代の男性が今月初旬に他院でインフルエンザワクチン接種を受けたところ、接種後2日目に四肢および体幹に湿疹が出、皮膚科で飲み薬と塗り薬を処方されるも、激しい痒みで仕事に出られず夜も眠れないとのことで、当院を受診されました。

インフルエンザワクチンは今まで何度も受けてきたが、接種後にこのような湿疹が出たのは初めてとのことです。小学生の子供も同じ日に一緒にインフルエンザワクチンを受け、やはり接種後2日目に四肢に湿疹が出たとのことで、この患者さんはワクチンが原因ではないか?と言われていました。

画像の部位以外に、左胸腹部、両股部にも広い範囲に同様の湿疹が出ていました。この方は以前に強い背部痛で当院を受診されており、治療により痛みは軽快しましたが、1回目のコロナワクチン接種直後に全く同じ痛みが出現したため、コロナワクチンは1回で止められました。

ワクチン接種後の皮膚のかゆみ、発赤、湿疹自体は珍しいことではなく、湿疹の出現には体調面やストレスなども大きく関与しますので、今回受けたインフルエンザワクチンの成分が原因とは言い切れませんが、このような広範囲の湿疹は比較的稀と思われ(知り合いの小児科医も経験がないとのこと)、一例として挙げてみました。

この患者さんは皮膚科で処方されたステロイド軟膏と抗アレルギー剤の内服では一向に痒みが治まらず、夜が全く眠れないので、この寒さのなか患部に扇風機を当てて冷やし、夜中の激しい痒みを何とか凌いでいたそうです。

当院では発赤と痒みに対し黄連解毒湯の処方とグルタチオン注射を行い、湿疹は改善しつつあります。

木枯らし1号

11月11日、近畿地方で木枯らし1号が観測され、一気に寒くなりました。特にここ数年、秋の気配を肌で感じることが少なくなりましたが、夕暮れ時の日差しに過ぎ行く秋が残っていました。

不審な侵入者

庭の一番奥の方に動物侵入の形跡を見つけました。苔があちこちで剥がされ、ひっくり返っています。また木の枝の破片もあちこちに落ちています。ポンちゃんが夜中縄張りのパトロールに出掛け庭を留守にしてるときに、何者かが侵入してきているようです。

暗視カメラを設置すると犯人が映っていました。イタチです。深夜1時過ぎ、苔や木の枝を咥えて走り去る様子が映っています。今年は暗視カメラ大活躍(汗)

イタチは4年前の10月下旬に自宅の天井裏に侵入して住み着き、営巣して出産と子育てを行っていました。ネズミの足音は知れていますが、イタチが走り回る音は半端でなく、夜中に突然大きな物音がし出すので本当に心臓に悪いです。

天井裏にイタチが嫌う正露丸や赤い回転灯を置いてみたものの効果なく、業者に調査をお願いし、12月中旬にようやく燻煙による駆除と再侵入防止工事が完了しました。イタチは直径3センチの穴からでも侵入するそうです。

築50年の自宅は1995年の大震災で木造部分が全壊しましたが、幸い鉄筋コンクリートの部分は小壊で済み、震災後そこを手直しして今も住んでいます。古い建物なので配管の隙間や小さな亀裂があり、そこから出入りしていたようです。

古い家には必ずいるゴキブリですが、そのゴキブリを狙ってネズミが屋根裏や床下に住み着くようです。業者の話ではイタチが入ってくると餌となるネズミは出てゆくそうで、厄介なイタチもネズミの駆除には役立っていたようです。そしてイタチ駆除の燻煙によりゴキブリも一時的に一掃されました。

なのでイタチの天井裏への侵入も悪いことばかりではないのですが、糞の臭いは強烈ですし、イタチと同じ屋根の下で暮らすのは悲惨でしかなく、二度と御免です。

今回庭に侵入してきたイタチはうちの敷地外のどこかに営巣していて、巣の材料を求めて庭に来ていたようです。巣が完成したのでしょうか、先週から庭に来なくなりました。

イタチは以前からこの辺りに生息していて、朝早く庭を走り抜けてゆく様子を目にしたことがありますし、不運にもニャルソック中のポンちゃんに見つかり、その場で仕留められてしまったものも2匹います。

何が気に入ったんか知らんけど、ハクビシンとかイタチとかスズメバチとか、頼むからもううちの庭に来んといて。お願いしますm(__)m

 

うれしたのし生きる

今朝のポンちゃんの様子です。

朝陽を浴びて気持ちよさそうに横になるポンちゃん。

なぜか後ろ脚が棚に乗っている。

下の棚に移動すると、敷いてあるすだれを突然嚙み始めました。

急に荒ぶるポンちゃん。引っ張ってわやくちゃにしています(笑)

なぜなのか分かりませんが、とにかくしてみたかったようです。

一通りすると気が済んだようで、喉が渇いたのか、水場に移動しました。

水を飲んでいます。

寝ています。

9年前のポンちゃん。生後3ヶ月。立派に成長しました。

我が家の庭を棲み処に、日々うれしたのし生きています。

薄れる季節感

日差しにこそ秋特有の物悲しさが漂うものの、日中の汗ばむ陽気は秋とは思えない異様さですね。これだけ昼夜の寒暖差が大きいと、油断から夜中に寝冷えしやすく体調を崩しがちです。体の冷えは免疫力の低下に繋がるので油断は禁物です。と言いつつ、暑がりなので部屋の網戸を閉め忘れて寝てしまうとか、個人的によくやらかしています(汗)

桜の葉がほんのりと色づき始めました。

柿の葉の紅葉。スーパーで買った種なし柿にいくつか種があり、植木鉢に撒いてみたところ発芽しました。この木は2年目で、実がなるまであと6年。

経験値の違い

真実か虚偽か、薬か毒かを正しく見極められる人とそうでない人がいます。専門知識がありながら毒を薬と思い込む人がいる一方で、子供や情報の限られた高齢者でも正しく見極められる人がいます。情報に触れる機会があっても、どの情報と繋がるか(選ぶか)はひとそれぞれであり、情報がなくても直感的に分かる人がいます。

人は刷り込まれた知識と過去の経験に基づいて物事を判断しますので、幼い子供や専門知識を持たない人が正しく見極められるのは、今生だけでは説明がつかないものであり、魂に刻まれた記憶、すなわち過去生の経験によるものと私は思っています。

価値観が異なりお互いに理解し合えないのは、双方の経験値の違いによるものなので、今生だけではどうしようもないことなのかもしれません。なので出来ることは、自分の考えを押し付けたり相手を変えようとするのでなく、相手を尊重し大切に思うことでしょうか。

金木犀の香りが漂い始めました。

今年は長引く猛暑の影響か、彼岸花の開花が例年より一週間以上遅れ、10月10日頃まで咲いていました。

アレチヌスビトハギ

種がいわゆる「ひっつき虫」です。

この種が服に触れると枝から離れてしつこくひっつき、なかなか剝がれません。

膝上のひっつき猫。途中で向きを変えながらしつこくひっつき、なかなか剥がれません。ポンちゃんの重さに耐えかねて無理やり降ろそうとしたら、強烈な猫パンチを食らいました。まだひっつき虫の方がマシかな(笑)

与えられているもの

この国ではまだ今のところ、お金さえ出せば食べ物も飲み物も手に入れることが出来ますので、生きられるのは当たり前のことと考えてしまいがちです。

ですが人が生きてゆくうえで必要な食べ物も飲み水も、人がゼロから生み出したものは何もなく、すべて地球から無償で与えられているものです。

土から生まれる草木がなければ食べ物は出来ませんし、水が山川海空と循環しなければ飲み水も自由に得られません。

食べ物があること飲み水があることは当たり前のことではなく、とてもありがたいことです。

長い間地球は単なる資源と刷り込まれてきたゆえに、私たちは地球に感謝することを忘れて生きています。

これからは生き物すべてを生かして下さっている足元の地球に感謝し、生きられる喜びを感じながら暮らしてゆきたいものです。

今年の夏は異様な湿気の猛暑が続き、湿気を嫌うぶどうはカビの発生で枝葉の大半が枯れてしまい、残った枝の房も熟さない青い実が多くありました。

その一方で雑草はどれも丈が例年の倍ほどあり、異常な繁茂で庭の土の部分はほぼ雑草で埋め尽くされ、刈っても刈ってもあっという間に元通りになり、手に負えません。見方を変えれば、雑草が表土と土壌細菌を異常高温と乾燥から守ってくれているのかもしれません(雑草に覆われた地面の表面温度は真夏でも25度前後に保たれているそうです)。

幅1m、奥行き45cmの棚で寝ているポンちゃん。9歳。平均的な猫の1.5倍近くあります。外猫の暮らしは暑さ寒さ雨風に耐えねばならないし、蚊やノミも避けられません。猫同士の喧嘩や交通事故のリスクもあります。ですが足裏で地の氣に触れ、草木に触れ、自由気ままにどこでも行ける外猫ならではの暮らしをとても気に入っているようです。感謝しているかどうかは別にして、棲み処と食べ物と飲み水が無償で与えられているので(笑)

進む二極化

殺人事件、傷害事件、感情を抑え切れない人、魔が差す人が激増しています。交通事故も頻発しています。心と体が何者かに乗っ取られたかのようです。

思考・感情が操作され、異様な氣を発している人が増えています。自他共に愛する人と自己中心的な人に二極化しています。

出会いと別れにより人間関係も再構築されつつあります。誰もが分相応に変わりゆき、分相応の仲間と共に歩むことになるのでしょう。