棲み分け

人間関係に変化が起きている

氣の合わない人とは自然と疎遠になり

氣の合う人との新たな出会いがある

すぐ近くに住んでいても全く見掛けなくなり

遠く離れた人と新たな接点が出来つつある

それぞれ自分に見合ったところへ棲み分けが進んでいる

目に見えない力

庭に出てふと見ると、庭木の茂みにスズメバチが入ってゆく

茂みを覗くと女王蜂が営巣を始めている

庭の一番奥に行き、ふと隅に目をやる

古い送水管から水が僅かに漏れ出している

毎日庭を隅々まで見て回っているわけではない

なぜかそのタイミングでそこに足を運び目を向けている

何故ふとその時そうしようと思ったのか・・・

自分の意思とは異なる何かにそのように仕向けられたと感じる

やはり人は良くも悪くも目に見えない力に導かれている

「たまたま」と言われるものは、すべてこの力の働きかもしれない

良くも悪くも自分に見合ったものと繋がる仕組み

縁との関わり方

縁というのは奇跡的とも言えるほど低い確率の上に成り立っているものであり、また縁がなければ決して巡り合うことのないものですが、普段はひとつひとつの縁をそのように意識することはありません。

その縁にもいつか必ず終わりが来ます。

悪しき縁は一日も早く終わって欲しいですが、良き縁の終わりは辛いものですね。

そして大切な縁ほど、後になって「共に過ごした日々の何気ないひとつひとつが掛け替えのないものだった」と気付くものです。

同じ状況の設定はもう二度と経験出来ないものだからでしょう。

人々との縁、動植物との縁、微生物との縁、地域との縁、国との縁、地球との縁・・・

後になって「もっと・・・しておけば良かった」と悔いることのないよう、いつか必ず終わりが来る縁を大切にしたいものです。

エノコログサとの縁

むかご(自然薯)との縁

寝てばっかりの🐈との縁😅

生まれ育った地域との縁🌅(小さすぎて見えませんが、この画像の中に自宅兼医院が写っています)

太陽系との縁🌞

宿命と運命

宿命と運命は混同して使われることがありますが、宿命は生まれる前からあらかじめ決まっている寿命や役目であり、運命は自分の意思で選ぶことが出来るものです。

登山に例えると宿命とは登る山の標高や地理的な位置であり、運命とは山頂に至る幾つもの道のひとつで、どの道を辿るかで途中の景色が違ってきます。

選んだ道にもまた途中に幾つもの分岐があるように、毎瞬毎瞬選択の機会が与えられており、何を選ぶかでのどような景色を目にしながら人生を歩むか=運命が決まります。

登りながら、どうもこれは違うな?と思えば、途中で道を変えてよいということでもあります。

周りからの影響で選ばされるのではなく、自分で考え自分らしく生きる選択をして、喜び多い人生、悔いのない人生を歩みたいものですね。

大雨の時の避難場所

早朝

眠たそう

 

自然体

すべては時の流れと共に変わりゆくものです。

変わらないものは何一つなく、変わらないように見えるものは単に変化が遅いだけです。

星や銀河でさえ、気の遠くなるような時間の中で変化しています。

変わりゆくことが自然の摂理であると悟れれば、過去への執着や囚われも手放しやすくなるかもしれません。

何事も自然の流れに任せると楽に進み、流れに逆らうと苦しくなるというのは、そのことでもあるのでしょう。

自然体でいるというのは、自分らしくありながら流れに沿って生きること、自分らしく変化し続けることなのでしょう。

国土地理院の年代別の写真を見るのが好きで、時々生まれ育った地域やよく訪れた場所の昔の空中写真を見て、懐かしい思い出に浸っています。

常に自然体😄

知ること

本当の意味で「知る」とは、単に知識を得るのではなく「経験する」ことと思います。情報や知識は肉体の脳に記憶されますが、繰り返し引き出して使わなければ時間と共に脳から失われてゆきますし、肉体が亡くなれば消えてしまいます。

一方経験を通じて得たものは魂に刻まれ、肉体から離れた後も残り続け、また次の生に引き継がれます。経験を通じてより多くを知ることが出来、自分以外のもの、すなわち他をより良く理解出来るようにもなります。

ゆえに魂の成長には、良くも悪くも何事も経験することが必要なのでしょう。有害なものを体に入れてしまって苦しむことも、真偽を見極めることなく何でも鵜呑みにする人、善を装う悪などないと思い込んでいる人には必要な経験なのかもしれません。

煽られないように

危機管理意識を高めると称し、悲惨な近未来を予想・予言し視聴者に不安と恐怖を煽る内容の投稿がSNS上に溢れています。不安と恐怖を煽ると閲覧・再生回数や登録者数が増えるからでしょう。

危機管理意識を持ち、出来る範囲で備えることは必要ですが、そればかりに囚われていても仕方がありません。不安と恐怖に基づく行動は喜びには繋がらないからです。

そして人々の集合意識が世の中を作りますので、不安と恐怖に囚われた人が多くなると強いネガティブな集合意識を生み出し、悪しき未来を引き寄せることになります。

自己顕示欲や承認欲求に囚われ、あるいは収益目的で意図的に不安と恐怖を煽る発信者は、虚偽に加担し人々から良き未来を生み出す力を削いでいる者と言えます。拡散する人達も同じです。SNS上で憂い合っていても集合意識に悪しき影響を与えるだけで、世の中は良くなりません。

警戒中(大丈夫かニャ?)

大丈夫だニャ(あごを乗せています)