宿命と運命

宿命と運命は混同して使われることがありますが、宿命は生まれる前からあらかじめ決まっている寿命や役目であり、運命は自分の意思で選ぶことが出来るものです。

登山に例えると宿命とは登る山の標高や地理的な位置であり、運命とは山頂に至る幾つもの道のひとつで、どの道を辿るかで途中の景色が違ってきます。

選んだ道にもまた途中に幾つもの分岐があるように、毎瞬毎瞬選択の機会が与えられており、何を選ぶかでのどような景色を目にしながら人生を歩むか=運命が決まります。

登りながら、どうもこれは違うな?と思えば、途中で道を変えてよいということでもあります。

周りからの影響で選ばされるのではなく、自分で考え自分らしく生きる選択をして、喜び多い人生、悔いのない人生を歩みたいものですね。

大雨の時の避難場所

早朝

眠たそう

 

自然体

すべては時の流れと共に変わりゆくものです。

変わらないものは何一つなく、変わらないように見えるものは単に変化が遅いだけです。

星や銀河でさえ、気の遠くなるような時間の中で変化しています。

変わりゆくことが自然の摂理であると悟れれば、過去への執着や囚われも手放しやすくなるかもしれません。

何事も自然の流れに任せると楽に進み、流れに逆らうと苦しくなるというのは、そのことでもあるのでしょう。

自然体でいるというのは、自分らしくありながら流れに沿って生きること、自分らしく変化し続けることなのでしょう。

国土地理院の年代別の写真を見るのが好きで、時々生まれ育った地域やよく訪れた場所の昔の空中写真を見て、懐かしい思い出に浸っています。

常に自然体😄

知ること

本当の意味で「知る」とは、単に知識を得るのではなく「経験する」ことと思います。情報や知識は肉体の脳に記憶されますが、繰り返し引き出して使わなければ時間と共に脳から失われてゆきますし、肉体が亡くなれば消えてしまいます。

一方経験を通じて得たものは魂に刻まれ、肉体から離れた後も残り続け、また次の生に引き継がれます。経験を通じてより多くを知ることが出来、自分以外のもの、すなわち他をより良く理解出来るようにもなります。

ゆえに魂の成長には、良くも悪くも何事も経験することが必要なのでしょう。有害なものを体に入れてしまって苦しむことも、真偽を見極めることなく何でも鵜呑みにする人、善を装う悪などないと思い込んでいる人には必要な経験なのかもしれません。

煽られないように

危機管理意識を高めると称し、悲惨な近未来を予想・予言し視聴者に不安と恐怖を煽る内容の投稿がSNS上に溢れています。不安と恐怖を煽ると閲覧・再生回数や登録者数が増えるからでしょう。

危機管理意識を持ち、出来る範囲で備えることは必要ですが、そればかりに囚われていても仕方がありません。不安と恐怖に基づく行動は喜びには繋がらないからです。

そして人々の集合意識が世の中を作りますので、不安と恐怖に囚われた人が多くなると強いネガティブな集合意識を生み出し、悪しき未来を引き寄せることになります。

自己顕示欲や承認欲求に囚われ、あるいは収益目的で意図的に不安と恐怖を煽る発信者は、虚偽に加担し人々から良き未来を生み出す力を削いでいる者と言えます。拡散する人達も同じです。SNS上で憂い合っていても集合意識に悪しき影響を与えるだけで、世の中は良くなりません。

警戒中(大丈夫かニャ?)

大丈夫だニャ(あごを乗せています)

大切にしたいもの

与えられた肉体を使える時間は限られており、肉体を思うように使える時間も限られています。

縁は濃い縁、薄い縁、一時の縁といろいろですが、いずれも縁がなければ決して出会わないものであり、すべて必要があっての巡り合わせです。

肉体、時間、縁(人、獣、虫、草木、微生物、家、土地、地域、国、地球、仕事・・・)

今生を歩む上で与えられているもの。

どれも大切にしたいものです。

うちの庭で生まれ、庭で暮らし、今年の9月で11歳になるポンちゃん。

縁あって私のそばにいてくれています。

肉体を大切に!

時々体を犠牲にして仕事で無理をし続けている方からの相談があります。心身に過ぎる負担を掛け続けているのが体調不良の原因です。この場合、症状を軽減する治療を行いつつ離職と休養を強く勧めています。

責任感や犠牲的精神の強い方によくあるのが、今自分が会社を辞めたら会社が立ち行かなくなるというものです。ですが会社の運営は事業主が考えることであり、社員が自分の体調を犠牲にしてまで責任を負うものではありません。仮に無理が原因であなたが倒れても会社はその責任など負ってくれませんし、深刻なレベルにまで心身が病んでしまうと別の仕事に就くことも出来なくなります。

人間関係についても同様で、相手から強いネガティブな影響を受け続け、自分ではどうしようもない状況では、我慢し続けるのではなくその人との関係を断つ決断が必要です。ネガティブな氣の影響を受け続けると必ず心も体も病んでゆくからです。

何をするにしてもまずは健康でなければなりません。心身の健康こそが生きてゆく上で最優先すべきものです。

色々な事情や理由で自分の体を犠牲にしてしまうのは、「肉体は自分自身であり自分の所有物である」という思い込みによるものと思われます。

肉体は新陳代謝を繰り返しつつ常に地球の物質を原材料にして再生し続けており、また自分の意思に関係なく呼吸、循環、消化、排泄、体温調整などの生命活動を肉体自らが行っています。すなわち肉体は地球の一部であり、私達が生かしているのではない自立した生命体であるということです。

ゆえに「肉体は(私達の意識がこの地上で活動するために)地球から一時的に借りている生命体であり、自分自身ではなく最も身近な他存在」と捉えるのが正しい認識と言えます。

肉体は私達が生きてゆく上で大切に使わせて頂くものと考えると、肉体の健康は何よりも優先しなければならないものとなり、自ずと衣食住医においても肉体に無害なものを選択するようになってゆくでしょう。

梅の蕾

桜の花芽

日々のメインテニャンスが大切ですニャ~、知らんけどニャ~

幼児性の顕れ

己の考えを一方的に押し付け、他の考えや思いを理解しようとしないのは幼児性の顕れです。

己の価値観に囚われ、己を正当化する癖を強くするばかりでは、不和を生み出すだけで、いつまで経っても人としての成長はないのではないでしょうか。

己以外はすべて他であり、他を理解しようと努めることが人として望ましいあり方でしょう。

寿命は決まっており、使える時間は限られています。

今生に与えられた時間を有意義に使いたいものです。