笑う門には福来る

いろいろと困難があっても、笑えば福来りて道が開けるものですね。憂いていたり深刻な顔をしていても決して状況は良くなりません。世の中が深刻な事態に直面しつつある時に笑うなど不謹慎という人もいますが、そういう時にこそ日々笑って過ごしましょう。私はそうします。

この時期、丸くなって寝ているうちの猫達です。

ひとそれぞれ

十人十色と言われるように、人は皆ひとりひとり違い、物事に対する感じ方や受け止め方も人それぞれに異なりますから、自分の事を好きな人もいれば自分の事を嫌いな人も必ずいるものです。
ですからより多くの人に好かれようと自意識過剰になり、無理に本来の自分以外の者になろうとする必要はないのではないでしょうか。

生きる意味

生きるということは経験するということでもありますね。人は何事も自分で経験しなければ心から理解することは出来ないもの。経験したことのみが本当に知ったことになるのでしょう。

生きて行くことであらゆる経験をし、一つ一つ経験から学ぶことで、より多くを心から理解出来る自分に変わっていきます。そして人は何度も生まれ変わってその都度経験を重ね、経験した分だけ新しい自分へと変わり、また次の生へと繋がっていく、この繰り返しです。

ゆえに生きて行く意味とは心が成長するためであり、人生に起きることは良きも悪しきもすべて心の成長に必要な経験として、その時々に与えられているのものなのでしょう。

己を活かす

誰でも皆、その人ならではの良きところがあるものです。私達はとかく己にないものがある人を羨ましく思い、時には妬むものですが、人を妬めば妬んだ分だけ己が惨めになり、己を苦しめるだけのような気がします。

己にないものを求めずに、己にあるもの己の良きところを活かす生き方が楽に歩める生き方であり、本当の喜びに繋がる生き方なのでしょう。己に良きところなど何もないという人は、縁ある人に聞いてみると良いと思います。きっと「あなたの良いところはこういうところ」と教えてくれるでしょう。日々それを活かし、磨き、育んでいけばよいのではないでしょうか。

2階ベランダからの眺め。倉庫の上に何か黒いものが・・・

平屋根の角でくつろぐポンちゃんでした(^_^)

庭に降りて声を掛けると、倉庫の屋根から降りてきました(無視されることが結構多いのですが(^_^;))。

塀の上に設置した防犯用のトゲトケ柵の上を器用に渡り・・

しっぽをピンと上げてバランスを取りながら前足を塀に下ろし・・・

そこから一気に飛び降ります。

庭に降りるとそこらじゅうに生えているエノコログサをむしゃむしゃと食べ始めました。もうすぐ5歳になるポンちゃんの良きところは、猫とは思えない大きさと素直で愉快なところでしょうか。他を羨むことなく自分らしく生き、日々己を活かし切っている感じがします(笑)

己の感情を見極める

私達は一時の感情の昂り、とりわけ怒りや憎しみなどのネガティブな感情に心を支配されがちです。一旦心を支配されてしまうと理性で自己を制御することが困難となり、それがきっかけで人間関係を拗らせてしまったり、時には社会的な問題を引き起こしてしまうことも少なくありません。私自身もそれが元でこれまで数々の失敗を繰り返してきました。

「魔が差す」とは一時のネガティブな感情の昂りが自分の意識とは無関係に増幅されてしまうことであり、普段から抱えているネガティブな感情を手掛かりに魔につけ込まれ、一時的に思考感情が乗っ取られてしまうことです。最近頻発している凶悪事件も、犯罪者の心の中にくすぶっているネガティブな火種が掻き立てられ、暴走に至ったものではないかと思います。

人は誰でも自分の理性ではどうにも出来ない心理状態に陥る可能性があることを心に留め、自分の心の中にあるネガティブな感情をよくよく見極め、決してそれに執着しないこと、そして常にポジティブな感覚を保つように努める必要があります。ネガティブな感情に従う時間をポジティブな感情に費やすように切り替えること、これを何度も何度も自分に言い聞かせながら繰り返すことです。またネガティブな言葉を口にすると、ネガティブな感情を一層増幅させることになりますので、言葉にはくれぐれも気を付けなければなりません。

ネガティブな感情を抱きそれに浸る癖は誰にでもあるものですので、自分は大丈夫と思っている人はその慢心や過信につけ込まれ、足元をすくわれます。取り返しのつかない事態に陥ることのないよう、常に自己の感情を見極めポジティブな感覚を保ち続けましょう。

思い込み(=洗脳)からの解放

私達は「地球は人間の所有物であり、幸福とは経済的豊かさである」という思い込みの中に生きています。思い込みというのは、自分で生み出したものではなく、そう信じ込まされたもの(=洗脳)です。誰もが信じて疑うことすらしなくなってしまうほど長い長い洗脳の歴史があり、今日に至っています。 資源という言葉を誰もが当たり前のように使っていますが、地球は人間の所有物であるという意識の顕れです。

誰一人として自分の力で生きている人はいません。酸素も食べ物も飲み物も着る物も住む家もすべて、地球・自然・生態系から頂いているものです。それらなしで生きて行けないのは分かりきったことですが、それでも私達は経済優先を手放せないでいます。それは経済的豊かさこそが幸福であると洗脳されてしまっているからです。

間違った思い込みにより地球上の何もかもが穢され、もう取り返しのつかないところまで来ています。命の要である大切な土・水・気が汚され続けています。山も海も川も生き物が次々と姿を消しています。私達人間も便利さや快適さと引き替えに、気がつけば健康を維持するのが困難なほど異常な衣食住環境下で暮らしています。それでも異常とは思わないようにさせられてしまっています。

地球を蝕む経済至上主義の洗脳から目を醒まし、私達を生かしてくださっている地球・自然・生態系を「破壊しない」「汚染しない」「略奪しない」生き方を、ひとりひとりが実践して行く時が来ています。

草木は時期が来たら自然に咲くのではなく、咲きたいという想いがあって、花を付けているのでしょう。

春の陽差し

2月下旬ともなると陽差しもすっかり春めいてきました。ジャノヒゲの実。この草の根の膨大部を乾燥させたものが生薬の麦門冬(バクモンドウ)です。粘膜や皮膚を潤す作用があり、のどが渇き空咳が続くような状態に効果があります。風邪などの後にのどがイガイガして空咳の発作が続く状態には、 半夏厚朴湯とこの生薬を含む麦門冬湯の併用が有効です(「夏と冬」と覚えています)。

チョロちゃん、時々信じられないくらいの猛スピードで庭を走り回っています(なぜなのか分かりませんが・・・)。走り回って気が済んだ後は、 よくお気に入りの場所のひとつであるジャノヒゲの傍に身を潜めています。獣には獣にしか分からない喜びがあるのでしょう。

陽の光、空気、霞、草木、獣・・・それぞれに役割があり、そのお陰で私達は生きて行くことが出来ます。誰一人として自分の力で生きている人間はいません。ですから、地球の自然や生き物を単なる資源(所有物)とみなし、人間だけの幸せを求める人間中心主義は間違っています。日々私達を生かして下さっている自然、森羅万象の恩恵に感謝の念を手向ける生き方が、地球の生態系の一員としての人間の本来あるべき姿ではないかと私は思います。

思い込みを手放す

人は皆、自分の思い込みの中に生きています。そしてこの思い込みというのは、自分で生み出したもののようで実はそうではなく、他から植え付けられた固定観念です。生きていて幸せを感じられないのは、「こうならなければ幸せになれないのですよ」という恐怖を植え付けられ続けてきたからであり、全部、自分の思い込みに苦しめられていると言えます。

人は皆同じでなければならないというのも、知らず知らずのうちに植え付けられた思い込みです。地球上には75億の人がおり、75億通りの考え方があります。この世にははじめから自分と違う人しか存在せず、私は私、あの人はあの人、この人はこの人であり、私は私でよい、出来ないものは出来ないでよい、ということだと思います。

食事の後、よく膝の上に乗せろと訴えてくるポンちゃん。執拗な訴えに負けたときの様子です。 ポンちゃん凄く大きいのでお尻が痛くなりますが、容赦なく居座り続け、満足げに喉をゴロゴロ鳴らしています。自分の思うように自分らしく生きる生き方の見本でしょうか(笑)

こころとことば

昨年の12月に校医をしている小学校で学校保健委員会が開かれ、「心の健康~言葉について」というテーマで子供達が発表しました。子供達は「ふわふわ言葉」と「チクチク言葉」を取り上げ、言葉が心に及ぼす影響についてアンケート結果を基に分かりやすく説明していました。私も校医の立場から話をする機会があり、心とは?言葉とは?という話をしました。

「心」とはからだのように見たり触ったり出来ないので、分かっているようでなかなかうまく説明の出来ないものですが、心の中にあるものに目を向けると、心=思考・感情の容れ物と言うことが出来るのではないでしょうか。そして「言葉」とは心の中に無数にある思考・感情の中からひとつを選んで声にし、外に顕わすことですが、この思考・感情を選ぶ元は「氣」であり、従ってはじめに心があり、心が氣を生み、氣が言葉を生み出すという流れになっています。

子供達が取り上げたふわふわ言葉とは「ありがとう」「よかったね」「大丈夫」「一緒にいよう」などの人を貴び人を思いやる言葉、チクチク言葉は「死ね」「きもい」「じゃま」「ボケ」などの(なかには「死神」とかもありましたが(笑))思いやりの気持ちを欠いた人を貶む言葉ですが、チクチク言葉は相手の心を傷付けるだけでなく、同時に自分の心の中の「人を思いやる気持ち」も傷付けますので、チクチク言葉を口にすればするほど、思いやりの気持ちが薄れていき、知らないうちに人を傷付けることが平気になり、終いにはそれが喜びにさえなってなってしまうものです。チクチク言葉を言われて嬉しい人などいませんので、人が次第に離れていき孤独になっていきます。

反対にふわふわ言葉は、口にすればするほど心の中の思いやりの気持ちを育み、またチクチク言葉を次第に口にしなくなっていくので、人間関係も良くなり笑顔に囲まれるようになります。

保健委員会の最後に教頭先生が言葉をブーメランに例えて子供達に話をされました。人の悪口を言うとブーメランのように自分に返ってきて、いつか必ず人から悪口を言われるというお話でした。言葉は同じ波長のものを引き寄せますので、人を傷付ける言葉を口にしていると、自ずと不運が訪れるという意味でもあるのでしょう。

このように普段口にする言葉が日々目に写る身の回りの景色を生み出ており、言葉はよくよく気を付けて選ばなければならないものであることが分かります。そして普段どのような言葉を選んでいるかは、染み付いた心の癖(氣の善し悪し)によるものです。子供達の発表の中で、「ふわふわ言葉よりチクチク言葉の方が思い付きやすい」という話がありました。これは子供達が普段チクチク言葉をよく口にしている証拠であり、それはテレビ、ゲーム、SNS、周囲の大人達の口から絶えずチクチク言葉を見聞きしている、すなわち悪しき氣を浴び続けているからに他なりません。子供は周りの大人を見て育つもの。私達の責任は重大です。普段何気なく口にしている言葉の癖を、もう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

 

思いの舵取り

年配の方である時期から急激に物忘れがひどくなり、ことある毎に家族から非難され、生きているのが辛いと相談されたことが何度かあります。ついさっきのことを忘れてしまい、繰り返し同じ事を言ったりしたりするので、家族も最初は辛抱強く対応していても、そこは人間ですので限度があり、余りに何度も繰り返されると、身内だけについ厳しい口調で非難の言葉を浴びせてしまうのでしょう。

言われた方は「相手の言葉が胸に突き刺さり、ひどく傷付く」と口を揃えて言われます。忘れてしまう自分が悪いので言われても仕方がないけれど、改めようとしても自分ではどうにも出来ない事だけに、余計に辛いとのことです。

年齢的な物忘れが目立つ方への接し方として、相手に腹が立ち非難したいという怒りの感情が湧いた時に、瞬間的に沸き上がった思いをそのまますぐ言葉にせず、一呼吸置き、「ちょっと待てよ。この感情のまま言葉にしてよいのか?」と自分に問う習慣を身につけることが、己の感情を暴走させずにコントロールする秘訣かと思います。この場合の怒りは己の思い通りにいかない事への反応なので、己を押しつけるのでなく相手を理解しようとする思いが大切です。言うは易く行うはなかなかですが、失敗を繰り返しながらも根気よくこの習慣を身につけて行きたいものです。

うまく出来なかったときは怒りを向けて深く傷つけてしまった相手に「言葉が過ぎました。ごめんなさいm(__)m」と言葉と態度できちんとお詫びしましょう。腹が立っても以前のようにキレずに対応出来たときは、「おー、今回は出来た!」と自分で自分を褒めましょう。そうすれば一層感情をコントロールしやすくなり、さらなる喜びへと繋がって行くことでしょう。私達は何かにつけて自分を卑下することに慣れ過ぎてしまっていますので、出来たときには自分を褒めて喜びを素直に表現し、喜びを感じにくくなるこの悪しき負の思考(卑下)の癖を改めていくことも併せて必要かと思います。