父の死に接して

昨年の夏、当院の初代院長である父が亡くなりました。最期は自宅で私が看取りました。癌の末期で亡くなる1ヶ月前には寝たきりとなり、その頃より喉の奥に痰がへばりついて苦しいと言い出しました。鼻からカテーテルで吸引しても痰の塊などないのですが、一旦喉奥の痰が気になり出すと、何度も何度も繰り返し痰の吸引を求めてきりがなく、私も疲れ果てて父の求めに応じ切れずに「単なる気のせい」と片付けてしまったこともありました。

連日そんな状態が続き疲労困憊していたとき、ふと思い立って、父にあるお薬を試しに飲んでもらいました。するとしばらくして「さっきの薬、効いたみたいや。喉の奥がすーっと楽になったわー」と言ったのです。そのお薬は抗不安薬の一種でした。

71歳の時に最初の癌が見つかった父は、以後3~5年毎に新たな癌になり、亡くなるまでの18年間は闘病生活の連続でしたが、その都度病気を乗り越え、常に前向きに生きていました。ところがある時期からよほど喉が気になるのか、しょっちゅう洗面所へ行っては咳払いとうがいを繰り返すようになりました。家族に心配掛けまいと明るく気丈に振る舞い続けた父でしたが、今から思えばこの「喉の違和感」は「再発への不安」の顕れであり、亡くなる前の「喉奥の痰の苦しさ」は「死への不安」の顕れだったのでした。

父の痰の訴えは、現代医学の知識に縛られた私の固い頭では理解し難いものでした。なので私は死期がいよいよ迫るまで、父の苦しみを理解してあげられませんでした。父の最期に医師として家族として立ち会いながら、表面的にしか寄り添えなかったことが申し訳なく、深い反省の気持ちがあります。他を理解出来るようになるには、まず他を理解しようすることであり、それには、相手の言うことに素直に耳を傾けること、自分の狭い知識だけで物事を判断しないこと、思い込みの癖を外すことであると、この経験を通じて学びました。

亡くなる二日前、身の置き所の無いしんどさに苦しむ父に良くなる見込みがあるのかどうか尋ねられた私は、「もう寿命やと思う」と正直に答えると、「そうか・・・そしたら苦しないようにだけしてくれるか」と言い、傍に寄り添う母に「幸せな人生やった、ありがとう」と何度も繰り返しました。その翌日の午後、緩和医療の最終手段であるドルミカム(鎮静剤)持続点滴により眠りに落ちると、最後息を引き取るまで父が覚醒することはありませんでした。肉体から離れ、ようやく長く辛い病の苦しみから解放された父の表情はとても穏やかでした。

 

肉体 意識体

普段私達は、肉体は自分のものと当たり前のように思い込んでいますが・・・よくよく考えてみると不思議な点があります。本当に肉体は自分のものなのでしょうか?

肉体は地球の土、水、気から出来ています。しかも私達が何もせずとも勝手に心臓が動き、呼吸をし、汗をかき、生きています。私達が肉体を生かしているのではなく、生きているのです。

肉体が自分のものでないとなると、私達は一体何者なのでしょう?私達は自分のものでない肉体を自分の意思で動かすことが出来ます。

生きている肉体の中に入り、肉体を使うことを許されている「意識体」とでもいうべき目に見えない存在、それが私達のほんとうの正体なのかも?・・・です。

何が言いたいのかさっぱり分からないという方は、ここはスルーでお願いします。

イチジクも地球の土、水、気から出来ています。虫、獣、人が生きて行けるよう、地球が形を変えたものとも言えます。

 

自然栽培

3月下旬に庭に蒔いたカボチャの種から立派なカボチャが3個出来ました。種を採取した元のカボチャ同様、これらも無農薬無肥料で出来ました。一番大きいものは直径19cm、重さ2.1kgでした。味付けせずにそのまま焼いて食べてみると、しっとりとして甘みのあるとても美味しいカボチャでした。天地の恵みに感謝感謝感謝です。

ところで、市場やスーパーで売られている野菜や果物ですが、買ってすぐ食べずにしばらく置いておくと、溶けてしまっていることがありますでしょう?キュウリなど跡形もなく液状化してしまいます。無農薬無肥料の自然栽培を確立した木村秋則さんの本によると、化学肥料で育てた作物は時間が経つと溶けるそうです。

山の自然の草木の実は時間と共にしおれていきます。草取りで抜いた雑草も同じです。決して市販の農作物のようにドロドロに溶けて形がなくなってしまうことはありません。無肥料の自然栽培で出来た作物も溶けずにしおれていきます。作物が溶けてしまうというのはとても不自然なことなのです。

 

うれしたのし生きる(チョロ)

うちの庭で生まれてもうすぐ4歳。

説明不要。うれしたのし生きています(^_^)

うれしたのし生きられることは、とてもありがたいことです。

ご飯も仲良く食べています。

外飼いなので、この時期耳や鼻を蚊にやられるのは、ある程度仕方がありません。蚊も必要あって存在しているのでしょうし。

 

思いの選び方

苦手なものというのは人それぞれですね。知人にインコが好きで数匹飼っている人がいますが、その人は鳥好きにも関わらず鳩が苦手とか。首筋のあの緑と紫の色が気持ち悪くてダメだそうです。女性は概して虫が苦手なようで、蝶やテントウムシのようにそれほど不気味とは思えない形の虫でも、生理的にダメという人を何人も知っています。虫好きの私も、昔からアシダカグモが大の苦手で、突然目に前に現われ家の壁を素早く動きまわるあの姿だけは無理でした。もう少しましな形になれなかったのかと思います。

その苦手なアシダカグモですが、今から10年ほど前、一泊二日の行程で山歩きをしていたとき、夜の寝床にと入った山の避難小屋に数匹いて、彼らと一夜を共にせざるを得ませんでした。しかもそのうちの一匹がいつのまにか私のリュックの中に潜り込んだらしく、知らずに家に持ち帰っていました。朝目が覚めると、自分の部屋のリュックの傍にいたのです。

ところがその時、何故か不思議と恐怖よりも山奥の住処から突然知らない所に連れて来られたクモが不憫に思えて、自力でビニール袋に入れ庭に逃がすことまで出来たのでした。それ以来、幼い頃から続くアシダカグモへの異常な恐怖はなくなり、今では見掛けても以前ほど動揺することはなくなりました。

生理的嫌悪感はどうにもならないものも多いですが、恐怖はさらなる恐怖を生み、そこから抜け出せなくなってしまうことがある一方、気持ちの向け方ひとつで克服出来ることもあるのだと、このおぞましい経験を通じて学びました。ふと思う」とか「魔が差す」と言われるように、「思い」というのはすべて自分で生み出しているようで実はそうではなく、どこからか流れ来るものを自分で選んでいる(あるいは選ばされている)ものなのでしょう。

何事も経験と言いますが、このように二度としたくない経験もあります(^_^;)

載せる写真もありません(^_^;)

 

自家製の梅干し

庭の梅の実が熟して自然落下したものを取っておき、天日塩で梅干し作りをしてみました。6月下旬から一ヶ月以上塩漬けにし、三日三晩の土用干しで今月5日に出来上がりました。無農薬無肥料の梅で作った自家製の梅干しです。ざるは高知の竹虎さんから購入したものです。食べてみると、昔ながらの容赦ない塩辛さの梅干しでした。おにぎりの芯に入れると最高な感じです。熱中症にも効果抜群かも(^_^)

食品添加物にはくれぐれも気を付けましょう。味や食感、日持ちを良くするために何種類もの人工的な添加物が加えられています。微量と言えども食べ続ければ、からだを苦しめる元となります。加工食品だけでなく店内調理された惣菜や弁当・パン類も、必ず成分表示に目を通しましょう。朝はパンという方は、一度各メーカーの食パンの成分表示を自分の目で確認してみましょう。糖質ゼロやカロリーオフを謳った人工甘味料の食品に飛び付かないようにしましょう。「食の安全」についてひとりひとりがもっと関心を持ちましょう。

 

身近な草木を大切に

身近にある植物を通じて、季節の移り変わりを楽しみながら生きて行けると、心豊かな生活を送ることが出来るものです。植物と共に暮らすスペースが家の中や周りになければ、普段意識することのない空き地や道端に茂る雑草に目を向けてみてはどうでしょうか。猛暑続きで水も殆どない過酷な環境の中でさえ繁茂し続ける雑草は、信じられないほどの生命力の持ち主です

あんなもの、綺麗な花が咲く訳でもなく、邪魔なだけで何の価値があるのかと思われる方も多いでしょう。街路樹の根元や街中の空き地が雑草で覆われると、すぐに空き缶やペットボトルなどのゴミ捨て場と化してしまいます。

彼らも姿は違えど私達と同じようにみなみな生きていますし、無機質な都会の空間を自然の氣で潤してくれる掛け替えのない存在です。なにより土から生まれる草木が無ければ人も獣も虫も絶滅します。植物の緑はエネルギーと酸素を作り出すだけでなく、スマホやパソコンの長時間使用で疲れた眼を唯一癒してくれる、とてもありがたい存在でもあります。また雑草の蔓延る地面は猛暑下でも地表温度が適度に保たれ、うちの猫達も本能的にそれを知ってか、真夏の日中は草むらのなかに潜んで上手に暑さを凌いでいます。

今地球上から生きものが次々と姿を消しています。スルメイカ、サケ、サンマ、カツオ、ウナギ稚魚・・・どれも記録的不漁が続いています。サンマの缶詰は昨年から値段が倍になり、健康食品として人気のサバ缶も近々20%値上げになるようです。播磨地方の春の風物詩イカナゴのくぎ煮も、昨年に続き今年も記録的な不漁に見舞われています。異常気象、海洋汚染、乱獲などの人為的な影響により、海の生き物が姿を消しています。地上の植物もまた姿を消しつつあります。身の回りに草木があるうちに、草木に目を向け、大切にいたしましょうm(__)m

耐え難い猛暑のなか、増え続ける雑草。

今年は珍しい年で、庭にいちごの実がなったり、百合の花が咲いたりしています。すべては変化の中にあり、決して同じ春夏秋冬(はるなつあきふゆ)はありませんね。

 

自然塩 氣のエネルギー

塩分の摂り過ぎは高血圧の原因の一つであり、健康のためには減塩を心掛ける必要があるとされ、厚生労働省の1日あたりの塩分摂取量の目標値は男性8g、女性7gとなっています。実際、健康意識の高い方に普段から減塩を意識されている方が多く見受けられます。

ですが一口に減塩と言っても、制限すべきはイオン交換樹脂法によってつくられた塩化ナトリウム99%以上の「食塩」の摂取であって、マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのミネラルを豊富に含んだ自然塩(自然海水塩、岩塩)であればこの目標値を目安にする必要はなく、体質にもよりますが、一般的には1日あたり20gくらいまでは摂っても問題ないと私は考えています。

生きものは皆、氣のエネルギーで生かされており、物質的な面だけでなく氣の面からもからだに取り入れる物の善し悪しを判断する必要があります。減塩生活による慢性的な塩分不足はエネルギー不足に陥りがちですし、今年のような異常な猛暑では熱中症発症のリスクも高まります。自然塩は極めて高い氣のエネルギーを持っており、毎日を元気に過ごすにはむしろ積極的に摂るべき食品と私は思います。

塩分は塩そのものだけでなく醤油や味噌などの調味料から摂ることも多いので、これらの調味料も出来れば天日塩など自然塩で作られたものを選ぶようにしましょう。天日塩は天日に干すことにより塩に太陽の氣のエネルギー(文字通り大きな陽のエネルギー)が加わりますので、さらに高い氣のエネルギーを持つ素晴らしい食品と言えます。

 

口内炎 胃の荒れ

舌や唇に口内炎が出来ると、お茶や汁物など熱いものが滲みて痛いですね。また食事中に舌や唇、口の中などを咬んでしまうことがあり、たいてい一回では済まずまた同じところを咬んでしまいます。咬んで出来た傷はやがて潰瘍になり口内炎と同じ状態になります。何度も同じ所を咬んでしまうので自然に出来た口内炎よりもひどいことが多いです。

どちらの場合も口そのものが悪いのではなく、食べ過ぎによる胃の荒れが根本的な原因です。口内炎や口の咬み傷は、食べ物の入り口である口に傷が出来ることで、痛みによりものを食べづらくして過食や刺激物の摂取を控えさせ、荒れている胃を守ろうとするからだの反応と言えます。ですから口内炎や口の中の傷を治すには、まずは食を控えて胃を休めることです。そうすることで胃の荒れが自然に治っていき、口内炎も消えていきます。

からだは何でも「過ぎる」と苦しむように作られていますので、苦しみが現われたときは、まず「過ぎる」行為を見直してみましょう。

これ、生姜の葉です。芽を出した生姜を庭の水捌けの良いところに埋めてみたら、芽が伸びて葉が出てきました。順調に育てば11月頃に生姜が収穫出来るかも(^_^) 感染性胃腸炎などの吐き気には生姜の絞り汁が割と効きます。

 

時の流れ 自然の流れ

あらゆることは変化のなかにあります。昔の時代と今の時代は違いますし、10年前の自分と今の自分では、外見も思考も人間関係も異なっています。

時は流れています。流れに沿って生きると楽に生きることが出来、過去に執着し流れに逆らって生きようとすると、苦しくなっていきます。

自然の流れも必要あってのこと。加齢によるからだの変化は誰しも戸惑い受け入れたくないものですが、年齢に見合ったからだの状態、いつか必ず迎える死に備えてのからだの変化というものがあります。

人から特別視されたいという思いや、行き過ぎたアンチエイジング志向は、自然の流れに逆らう生き方となり、執着が新たな苦しみを生み出すように思います。

人はひとりひとり違っていて、もとより特別な存在なのですから、それ以上特別にはなれません。目指すべきは、流れに沿った生き方のなかで今の自分を認め大切にすることではないでしょうか。

2018年4月

2018年7月

2014年12月(生後3ヶ月)

2018年5月(3歳9ヶ月)