思いの選び方

苦手なものというのは人それぞれですね。知人にインコが好きで数匹飼っている人がいますが、その人は鳥好きにも関わらず鳩が苦手とか。首筋のあの緑と紫の色が気持ち悪くてダメだそうです。女性は概して虫が苦手なようで、蝶やテントウムシのようにそれほど不気味とは思えない形の虫でも、生理的にダメという人を何人も知っています。虫好きの私も、昔からアシダカグモが大の苦手で、突然目に前に現われ家の壁を素早く動きまわるあの姿だけは無理でした。もう少しましな形になれなかったのかと思います。

その苦手なアシダカグモですが、今から10年ほど前、一泊二日の行程で山歩きをしていたとき、夜の寝床にと入った山の避難小屋に数匹いて、彼らと一夜を共にせざるを得ませんでした。しかもそのうちの一匹がいつのまにか私のリュックの中に潜り込んだらしく、知らずに家に持ち帰っていました。朝目が覚めると、自分の部屋のリュックの傍にいたのです。

ところがその時、何故か不思議と恐怖よりも山奥の住処から突然知らない所に連れて来られたクモが不憫に思えて、自力でビニール袋に入れ庭に逃がすことまで出来たのでした。それ以来、幼い頃から続くアシダカグモへの異常な恐怖はなくなり、今では見掛けても以前ほど動揺することはなくなりました。

生理的嫌悪感はどうにもならないものも多いですが、恐怖はさらなる恐怖を生み、そこから抜け出せなくなってしまうことがある一方、気持ちの向け方ひとつで克服出来ることもあるのだと、このおぞましい経験を通じて学びました。ふと思う」とか「魔が差す」と言われるように、「思い」というのはすべて自分で生み出しているようで実はそうではなく、どこからか流れ来るものを自分で選んでいる(あるいは選ばされている)ものなのでしょう。

何事も経験と言いますが、このように二度としたくない経験もあります(^_^;)

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